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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)9511号 判決 1973年3月29日

原告 丸一博

<ほか二名>

右三名訴訟代理人弁護士 末政憲一

同 吉原大吉

被告 黒須房男

右訴訟代理人弁護士 高田利広

同 小海正勝

主文

被告は、原告丸一博に対し金八〇万円およびこれに対する昭和四五年一〇月二日以降完済までの年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告丸一博のその余の請求および原告丸一巳、同喜代の各請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告丸一博と被告との間では同原告に生じた費用の四分の一を被告の負担、その余を各自の負担とし、丸一巳、同丸喜代と被告との間では被告に生じた費用の三分の一を右原告らの負担、その余を各自の負担とする。

この判決は、原告丸一博の勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

一  当事者の求めた裁判

(原告ら)

(1)  被告は、原告丸一博に対し金三五六万五四九〇円およびこれに対する昭和四五年一〇月二日以降完済までの年五分の割合による金員を、原告丸一巳および同丸喜代に対しそれぞれ金七五万円およびこれに対する前同日以降完済までの年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

(2)  訴訟費用は被告の負担とする。

(3)  仮執行宣言

(被告)

(1)  原告らの請求を棄却する。

(2)  訴訟費用は原告らの負担とする。

二  原告らの請求原因

(一)  被告は黒須外科病院を経営する医師であり、原告丸一巳同丸喜代は原告丸一博の両親である。

(二)  原告一博は昭和三三年一一月四日ごろ右足大腿部を骨折し、右病院で骨折部分を接合癒着させるため針金で結んで固定する手術を受け、その後昭和三五年二月に被告によって右針金の除去手術を受けた。

(三)  右除去手術の際、被告は医師として針金全部を除去すべき注意義務があるにもかかわらず、それを怠った過失により、針金(直径〇・五ミリメートル)三本を骨に巻きつけたまま放置するとともに、針金の切片三箇を大腿部筋肉内に放置したまま縫合した。また、被告は右のように一部の針金を体内に放置した以上、その旨を原告らに告げて原告一博に将来そのための障害を生じた場合にすみやかに適切な措置をとりうるようにすべき注意義務があるのにこれを怠った。

(四)  原告一博は昭和三五年春(小学校三年生)から昭和四四年夏(高校三年を前年に卒業し、大学受験準備中)ごろまで、右手術部位を冷したり駆走等により右大腿部を過度に疲労させたとき、季節の変り目、雨が降ったときなどに手術部位に鈍痛と激痛を感じ、リンパ腺が腫れることもあった。右痛みは一年のうち約四箇月間位周期的に襲ってきた。これにつき原告一博は昭和三八年ごろ被告の診療を求めたが、被告は手術後の神経痛にすぎないから日時の経過により自然に消失すると説明して電気治療を行なったにとどまり、原告一巳、同喜代らも右説明を信じて加温、マッサージ、鎮痛用の売薬の服用などの治療を受けさせるにとどまった。ところが、昭和四四年一〇月ごろ、原告一博はいつまでも痛みが消失しないので訴外山口病院でレントゲン撮影および診断を受けたところ、前記針金が残存していることが判明し、同病院で右針金のうち筋肉内のものと骨に巻きつけたものの一部の除去手術を受け、その結果痛みは消失した。

(五)  原告一博がなめた前記苦痛は被告によって体内に放置された針金のためであり、被告の前記過失に基因するものであるところ、これによって各原告の被った損害は次のとおりである。

(1)  原告一博は、人間の一生を決定する重要な少年時代と青年時代の合計一一年間にわたって前記苦痛によって悩まされ続け、夜も眠れず、勉強も妨げられ、自殺を考えたこともあり、好きなスポーツも十分できなくて学業成績も次第に低下し、大学も一流大学に入学できなかった。また再手術による苦痛を味わうとともに右手術により大きなみにくい傷跡を残している。そのうえ骨に巻いてあった三本の針金は骨の成長に伴って骨の肉部に食い込み骨を削り、穴をあけるなどの大手術をしないと除去不可能な状態にあるため、前記山口病院における手術でも除去しなかったが、将来これによって痛みが再発するおそれがあり、再手術の不安におびえている。これに対し被告は前記病院を盛大に営んでいるにもかかわらず、原告らがレントゲン写真を示し被告に過失のあったことを明らかにしたにもかかわらず、再手術費用も負担せず見舞にも来ないという誠意のない態度をとっている。以上による原告一博の精神的損害を慰謝するには金三五〇万円の支払をもって相当とする。

このほかに同原告は山口病院での針金除去手術のため金六万五四九〇円の治療費を負担し、同額の損害を被った。

(2)  原告一巳、同喜代は、両親として原告一博の前記長年にわたる苦痛および再除去手術前の骨髄炎になる危険があるとの診断に非常な精神的打撃を受けるとともに、ただ一人の男の子としてその将来を期待していた原告一博の学業成績が低下したことにより大きな精神的打撃を受けた。これらの精神的損害を慰謝するには各原告につき金七五万円の支払をもって相当とする。

(六)  よって被告に対し、原告一博は金三五六万五四九〇円、原告一巳、同喜代はそれぞれ金七五万円およびこれらに対する昭和四五年一〇月二日以降完済までの民事法定利率による遅延損害金の支払を求める。

三  請求原因に対する被告の認否および主張

(一)  請求原因第一項の事実、同第二項のうち針金除去手術の日時(この点は否認)を除くその余の事実、同第三項のうち、被告が除去手術の際針金三本を骨に巻きつけたまま縫合したことおよび結果として針金の切片三箇が筋肉内に残置されたことは認め、同項のその余の点は争う。同第四、第五項の事実も争う。被告が原告一博に対し針金除去手術をしたのは昭和三四年五月ごろである。

(二)  本件骨折について被告は骨折部の固定のために銀製の針金を使用したが、かかる銀線は後日除去するのが原則ではあるけれども、骨に食込むなどして除去に相当困難が伴う場合には残置することがあり、またそれで障害を起すことは、まずない。針金切片三個は骨を結ぶのに用いたものが骨の成長に伴って離断したものであって被告が過失によって残置したものでなく、またその除去も一般には必要でもなく、適当でもない。仮に右切片を被告が第一次の骨折接合手術の際筋肉内に残したとしても、右は本件のような緊急手術においては不可抗力的な偶発事故であり、被告の過失によるものではない。

さらに原告らの主張するような愁訴は本件の残置された針金やその切片では起り得ないものであり、右愁訴があるとしてもそれは心因性のものと思われ、右針金の残置との間には相当因果関係がない。

昭和四四年一二月ごろ原告一巳は被告を訪れ、原告一博の訴える疼痛の原因は被告が残した銀線に原因する旨主張したので、被告はこれに対し右銀線が原因であるとは思えないが除去手術を希望するなら実施する旨答え、同原告もこれに同意したが、その後原告一博は来院しないものである。

四  証拠≪省略≫

理由

一  請求原因第一項の事実および同第二項のうち被告がなした針金除去手術の日時以外の事実は、当事者間で争いがない。

≪証拠省略≫によれば、右手術が行なわれたのは昭和三五年二月であることが認められ(る。)≪証拠判断省略≫

二  右針金除去手術の際、被告が骨の接合に用いた針金三本を骨に巻きつけたまま原告一博の体内に残置したこと、および、後日同被告の右大腿部の筋肉内に針金の切片三箇が遺残していたことは、当事者間で争いがない。

≪証拠省略≫によれば、(1)原告一博は本件骨折当時八才であったこと、(2)小学五、六年生ごろから同原告は季節の変り目などに断続的な鈍痛を手術部位に感じるようになったこと、(3)右疼痛は痛み出すと一日続き、数日すると再び始まるといった風にして、同人の小学生時代は一年のうち四〇日位起ったこと、(4)中学一年生になってからは右大腿部を冷やすと痛みとだるさが生じ、大腿部のリンパ腺がはれ、そのような症状が一年のうち五〇日位に起ったこと、(5)その間同人は神経痛による痛みと考えて(被告からもそのような診断を受けた)赤外線照射や電気マッサージなどの治療を受けたことがあったが効果がなく、高等学校に入ってから痛みは二日位続くようになり、やはり季節の変り目や水につかったり激しい運動をしたりしたとき年間に五、六〇日痛むことがあったこと、(6)高等学校卒業後痛みが激しくなって来たので山口病院の中村医師の診察を受けた結果、骨折による手術部位に針金およびその切片が残存していることが判明したのでそれを除去するため同医師の手術を受け、筋肉中の切片および骨に巻きつけられた針金のうち骨の外に出ている部分は除去されたこと、(7)再除去手術の結果、右大腿部の痛みは消失したこと、以上の事実が認められる。

右認定事実によれば、原告一博の前記疼痛は再除去手術で除去されたところの骨の外にあった針金(切片を含む)によって生じたものと推認される。≪証拠省略≫によれば右残置された針金は銀線であることが認められるところ、≪証拠省略≫によれば、一般に銀線を体内の本件におけるような部位に残しても通常は格別の障害は生じないものと考えられていることが認められるが、このことも、前掲(1)ないし(7)の事実と対比した場合、前記の推認を動かすに足りるものではない。

逆に、再除去手術の際すでに骨内に入っていた部分の針金が前記疼痛と関係がないものであったことも、右(1)ないし(7)の事実および前記鑑定結果、前記各証言によって明らかである。よって、以下において被告の過失や相当因果関係の有無を論ずるにあたっては、もつぱら右骨外の部分にあった針金(切片を含む)のみを対象とすることにする。

三  被告が本件針金を除去しなかったことが医師としてなすべき注意を怠ったことになるかどうかについて考えるに、まず前記のとおり被告の行なった除去手術が骨接合手術後一年余を経てから行なわれていることが問題になるところ、≪証拠省略≫によれば、患者が八才程度の場合、除去手術は骨接合後二〇週位で行なうのが望ましいことが認められ、右基準からすると右除去手術の時期はかなり遅いことになる。しかしながら、除去手術の時期が遅れたことによって生ずる問題としては、その間に化骨形成が進むことによって(イ)針金が骨中に埋まり、除去が困難になること、(ロ)骨に巻いてある針金が骨が太くなることによってはじけ、遊離するため除去が困難になること、の二つであることが≪証拠省略≫によって認められるところ、右のうち、(イ)の骨中に埋れた針金は前記のとおり本件疼痛とは関係がないし、(ロ)については、≪証拠省略≫によれば、子供の場合には骨接合後一〇週間位で針金が遊離する可能性があることが認められるから、適切な時期に除去手術がなされたとしても、この点からの除去上の困難に大きな差があったとは断じ難い。したがって、除去手術の時期の問題は本件で問題になる針金の遺残とは関係がないものと考えてよいであろう。

次に、実際に施行した除去手術に際して被告が十分な注意を払って針金の除去を行なったかどうかの点であるが、問題になる針金のうち、中村医師の再除去手術の際骨に巻きついたものの一部として骨外にあったものは、被告の除去手術の際にも骨外に、しかも骨折部位の附近にあったと考えられるから、当然除去可能であったと考えられ、これが除去されていないのは被告が十分丁寧な施術を行なわなかったためと推認される。これに対して、筋肉内の三箇の切片(なお、これらは前記のように骨の発育に伴って骨に巻きつけてあったものがはじけて遊離したものと推認される。)については、≪証拠省略≫によれば、前の手術によって形成された瘢痕や出血等に妨げられて除去は困難な場合があることが認められる。しかし、≪証拠省略≫によれば、被告は除去手術に際して予め手術部位のレントゲン写真をとったが、当時筋肉内への針金の遊離は認めなかったこと、また被告としては骨に巻いた針金をよじり合わせて結んだ部分は除去したつもりであったことが認められる。当時針金の筋肉内への遊離がなかったとすれば、これを除去しなかったのは(後に遊離した部分であるから骨内にあったはずはない。)被告の過失と考えられるし、右遊離があったのをレントゲン撮影の際見落したとしても同様である。また、≪証拠省略≫によれば本件骨接合手術においては三箇所でそれぞれ単線の針金を巻きつけたうえその端をよじり合せて骨を固定したところ(≪証拠判断省略≫)、そのうち二箇所のよじり合せた部分が二つの切片となって筋肉内に遊離していることが認められ、この事実と前記被告本人の供述との間に存する矛盾からしても、被告が除去手術の際骨外に残存する針金を完全に除去すべく十分な注意を払わなかったことが窺われる。よって、被告には本件針金除去について過失があったものというべきである。なお、原告らはさらに残置した針金の存することを被告が原告らに告げなかった点においても被告に過失があると主張するが、少くとも骨外の針金についてはこれを残置したことについて被告に認識があったかどうか本件全証拠によっても明らかでなく、右残置を認識しなかった点に過失があるとしても、それは前記除去を怠った過失の一部を構成するものと考えられる。

四  被告の前記過失と原告一博に生じた疼痛との間の相当因果関係の有無について考える。

一般に人体の本件のような部位に残した銀線は通常は無害であると考えられていることは前記のとおりである。

しかしながら、≪証拠省略≫によれば、このように残置された銀線が時として異物反応としての、または物理的刺戟によるところの無菌的炎症を起す場合があり、また医学上の基本常識として、かかる異物を体内、ことに発育の盛んな子供の体内にとどめて置くことは好ましくないと考えられ、特に困難や危険を伴う特別の場合でない限り、できるだけ骨が接合した後はこれを抜去するようにするのが医師の一般的な態度であることが認められる。証人中村純次の証言中には銀線の場合一般には除去する必要はなく、針金を巻いて結んだ場合は除去しない医師が多い旨の供述があるが、同証人自身は治療にあたって特に子供の場合はできるだけ除去している旨、また別の箇所では一般論としては除去した方がよい旨を述べており、これらと上掲の他の証拠とに照らし、右供述はにわかに採用し難い。

以上述べたところからすると、本件疼痛のような障害は、銀線の体内残置から通常生ずるものとはいい難い。しかし被告は専門的知識を有する医師として、特に子供に対しては体内残置が好ましくないこと――無菌的炎症等のなんらかの障害をひき起すおそれのあること――を知っていたはずであり、事例的には比較的まれであるにせよ、本件疼痛のような障害を可能性としては予見し得たはずである。またこれを予見したからこそ、被告は第一次の針金の除去手術を行なったのであろう。そうして医師として右のような予見の下にその小さい可能性を排除するための施術を引受けた以上、その可能性がそもそも低かったことを理由に施術上の過失から生じた結果に対する責任を回避することはできない。本件銀線を残存させた被告の過失と原告一博の疼痛との間には相当因果関係があるというべきである。

五  次に右疼痛によって原告らに生じた損害について検討する。

原告一博の悩んだ疼痛の程度や原・被告間の交渉については、第二項で述べたことのほか、≪証拠省略≫によれば、(1)原告一博は中学一年の時水泳部に入ったが足の痛みのため途中退部したこと、(2)同じく中学時代マラソン大会に出たこと、(3)高等学校では山岳部に入ったが思うようにスポーツはできなかったこと、(4)高校生のころは鎮痛剤を服用したこともあり、痛みのため学校を休んだこともあったこと、(5)大学受験期に痛みのため勉学が妨げられることもあったこと、(5)同原告は山口病院でレントゲン撮影をして針金の遺残を知った直後、その写真を持参して被告を訪れ、その旨を告げたところ、被告は再除去手術をする旨申し出たが同原告は断わり、以後原・被告間の交渉はないまま本訴訟となったこと、以上の事実が認められる。

また、≪証拠省略≫によれば、同原告は山口病院に再除去手術のため一三日間入院したことが認められる。

同原告は、右疼痛のため自殺を考え、学業成績も落ち、大学進学も思うにまかせず、さらに再除去手術により大きなみにくい傷跡が残った旨主張するが、これらの点は本件全証拠によっても認められない。また同原告は今後の再手術の不安におびえていると言うが、そのような手術の必要がなく、右不安が根拠のないものであることは≪証拠省略≫から明らかである。

以上のような諸事情を総合勘案し、原告一博に対して被告の支払うべき慰謝料は金八〇万円をもって相当と認める。

原告一博は再除去手術につき治療費六万五四九〇円を支出した旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

次に原告一巳、同喜代は原告一博の悩んだ疼痛、その結果としての学力低下、骨髄炎の不安などにより両親として精神的苦痛を受けた旨主張する。しかし、直接の被害者の重大な受傷疾患によりその近親者が死亡の場合に比肩すべき甚大な精神的苦痛を受けた場合であれば格別、本件程度の疾病によっては両親には慰謝料請求権は生じないと解すべきであるから、右両原告の請求は失当である。

六  以上の次第で、原告一博の請求は被告に対し金八〇万円およびこれに対する損害発生の後たる昭和四五年一〇月二日以降完済までの民事法定利率による遅延損害金の支払を求める限度で正当であるから認容し、その余を棄却し、原告一巳、同喜代の各請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条、第八九条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 加茂紀久男)

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